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思いたっだがトルコへ・・・ <1995年の話>

2009年11月16日

1995年3月初旬なぜか私はトルコ・イスタンブールの空港に立っていた。

この年の4月から新社会人としてデビューする事になっていた私は2月に卒業旅行としてエジプトに行く予定にしていた。ところがである・・・。

1995年1月17日5時46分。後に阪神淡路大震災と言われる未曾有の地震が発生する。その時、私は神戸市須磨区の友人宅におり震度7を直接体験することとなる。
揺れるマンションから這うように外に出てみれば、いつもは軒を並べて建っているはずの木造の建物が見当たらない。家の2階部分が1階まで落ち込んでいるのである。慌てて表通りの国道2号線に出てみれば、映画でしか見たことのないような道路のひび割れや陥落がいたるところに見える。そのうち、少し離れたプラモデル・模型屋さんから火の手があがりだした。そこからは近所の方と協力しての必死の救援活動で何をどうしたか?どこを駆け巡ったのか?はっきりした記憶とおぼろげな記憶が交錯した状態で10年以上経った今でも突然のように思い出される。

私の実家はというと神戸市といえども被害が少ない地域であったので、日常の生活に少しばかり支障は生じたが、避難所で過ごされた方に比べれば恵まれていた。街全体がそんな状況であるがゆえエジプトへの卒業旅行はあえなく中止とすることにした。
3月の初旬になると街も落ち着きを取り戻しはじめ、私は東京で行なわれた全国合同の新入社員研修に参加することとなった。さすがに海外旅行が代名詞となったエイチ・アイ・エスに入社する面々だけあって卒業旅行で世界各国を巡っている。3泊4日の社員研修の間、色々な国の色々な話を聞いているうちに、私の中でふつふつと湧き上がるものがあった。

そんな時、同じ班で研修をしていた東京組・新入社員の中に3月中~末にトルコへ行くというものがいた。彼としては卒業旅行の仕上げでトルコに行くらしくイスタンブール、アンカラなどを巡るという。研修最後の晩に意気投合した二人は、ヒッタイトやオスマントルコを中心とした世界史の話題で盛り上がった。

次の日、もしかするとトルコに旅行に行くかもしれないという事で、彼の連絡先を聞き新幹線へと乗り込んだ。新幹線が名古屋を通過する頃には、いてもたってもいられなくなり、
大阪へ到着するなりその足で、エイチ・アイ・エスの関西営業本部(当時は堂島)に向ったのである。

そして一言・・・ 「すいません!明日からトルコに行きたいのですが!・・・」

かくして私のトルコへの扉は切り開かれたのである。 <つづく>


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Posted by 白井 旬 at 2009年11月16日 05:55Comments(0)白井 旬 なる人物
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