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阪神・淡路大震災から15年

2010年01月16日

最近、ニュースでよく耳にすると思いますが、
明日は1995年1月17日の阪神・淡路大震災から15年にあたります。

その当時の模様を描いたドラマが、今日16日の21時から放映されます。

「神戸新聞の7日間~命と向き合った被災記者たちの闘い」です。

http://wwwz.fujitv.co.jp/kobe/hajimeni.html


自分の家族が亡くなっていても、市民に情報を伝えるために取材にあたる記者。

会社は崩れ、電気もなく、新聞をつくるシステムも使えない

ましてや水や食料もなく、自分自身の命も危ぶまれるなか

京都新聞と連携をとり、17日の震災当日の夕刊から新聞を発行し

神戸市民に勇気を与え続けた、そんな神戸新聞の記者たちと

復興に向けて前向きに生き続ける、神戸市民の物語です。


誰のために・・・。
何のために・・・。 を考えさせられます。


その予告を見て、震災当時を思い出しました。


私はその当時、神戸の大学4年生で、厳しい就職氷河期を勝ち抜き、
1月20日から喜び勇んで卒業旅行でエジプトにいく予定にしていました。


17日当日は前日から須磨の友人宅に宿泊していましたが、
地震の数分前に勝手に目が覚め、その直後に激しい揺れが襲いました。

死に物狂いで外に這い出て、2階の踊り場からやっとの思いで外をみると
いつもはあるはずの周辺の建物が、視界から完全に消えていました。

周りの木造の建物はことごとく、倒壊していたのです。
やがてどこからともなく、火の手があがりました。

消防車が駆け付けたものの水が出ず、
自然の力を前にして、人はなす術もありませんでした。


残念ながら私の小学校~大学の友人・知人も何人かは亡くなりました。


そんな苦しい状況の中、人々に勇気を与え続ける為に、

機材はなくても新聞を発行しつづけた神戸新聞

モノはなくても電気で街を照らし続けたダイエー・ローソン など。

みなが 「がんばろう We Love KOBE」 を掲げ、

地域のため・家族のため・自分のために、

自分自身で出来るベストをつくす。

その復興のシンボル・希望の光となったのが

イチローが率いて日本一になった「オリックスブルーウェーブ」でした。



震災により、

志半ばで亡くなっていった人々のためにも

これから世に生まれいずる人たちのためにも

そして自分自身と社会の輝かしい未来を描くためにも

今、生きていることに感謝をし、日々ベストをつくし続けたいと思っています。



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Posted by 白井 旬 at 2010年01月16日 05:46Comments(0)白井 旬 なる人物
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