てぃーだブログ › シュリーマンの 「まちづくり・ひとづくり・ものづくり」ブログ・・・ › 白井 旬 なる人物 › 積極的な「お休み」の薦め・・・

積極的な「お休み」の薦め・・・

2011年02月23日

昨日は人生で初めて積極的に「お休み」をしました。


誤解が生じるといけませんので、もう少し詳しくお話をさせていただきますと・・・。1995年4月に社会人になってからの16年もの間に、旅行やイベントなどの楽しいことはもちろん、家族の入院や自身の体調不良など苦しいことで仕事を「お休み」することは確かにありましたが、心から仕事を忘れて100%「お休み」するということはありませんでした。


このように表現すると「カッコよく」も聞こえるかもしれませんが、要するに「オン」と「オフ」の切り替えが苦手だっただけなのでは?と感じています。特に直近の5年間は自宅においても人材育成のメニューを考えたり、準備をしたりしていましたし、「○○さんにはどんなアプローチが効果あるかな?」とか「○○くんのあそこが伸びればもっと成長するのになー」など常に考えている状態でしたし、それが楽しい瞬間でもありました。


一般的にいう「天職の4つの条件」である「興味」と「能力」と「価値観」と「報酬」とがピッタリと一致していましたし「白井さんにしか出来ない」と叱咤激励され、社会に求められての仕事でしたので、自分では疲れていない。いや疲れるはずがない。と思っていました。


ところがです・・・一昨晩というか22日の朝3時ぐらいから、自身が救急車で運ばれる夢を見ては目が覚め、再び眠りについては、また同じ夢を見て目が覚める。という状況を繰り返し、身体も自由に動かせず、意識も朦朧としながら朝を迎えました。それ以前に、先々週は一晩入院をして点滴を受けたりもしていました。


当日の朝は前日までと違って、とても天気が良く部屋に差し込む朝日も神々しかったこともあり「もしかして・・・」と一瞬だけですが、自分の「死」を意識し、そして覚悟を決めたような感じになりました。


今までの37年間の人生で、交通事故だけでも4回。阪神大震災の時も周りの建物が全て倒壊する震度7の渦中にいましたが「絶対に死なない」「何があっても生き続ける」という思いだけは強く持っていましたし、周りからは「何かに守られている」「誰かの為に生かされている」と言われ続け、そう信じていました。


しかしながら、37歳の最後の朝である2月22日に、生まれて初めて「死」を意識し、そして受け入れそうな自分がそこには確かにいました。


それと同時に「なぜこのタイミングなのか?」とも考え、自分の中で何か大きな意味があるのではないかと必死に「答え」を探していました。


そして辿りついた「答え」はこうでした。


37歳最後の日は、死んだように休みなさい。
そして、新たな気持ちで、38歳最初の日を迎えなさい。と・・・。


お正月の初詣の時ぐらいしか「神さま」と向き合わない私に対して、
不憫に思った「神さま」が諭してくれているような気がした1日でした。


このような事をブログで書いていのか・・・正直迷いましたが・・・
このような事があったからこそ・・・定めた38歳~40歳の3年間のテーマを


人に優しく・・・。自分に素直に・・・。 


としたこともあり、正直な気持ちを書かせていただきました。


みなさま・・・くれぐれも心と身体にはご自愛ください。


積極的な「お休み」の薦め・・・



<関連ブログ>

・思い起こせば・・・私と沖縄との出会い (2009年11月14日)

・人生におけるVSOP (2010年02月23日)

・適材適所+沖縄の昔話 (2010年04月22日)

・薬剤師が発見した法則 (2010年06月23日)






同じカテゴリー(白井 旬 なる人物)の記事
Posted by 白井 旬 at 2011年02月23日 05:55Comments(2)白井 旬 なる人物
この記事へのコメント
おたんじょうびおめでとうございまーす。素敵な未来があなたを待っていると思います♪
これからもよろしくおねがいします!
Posted by 白鷹 at 2011年02月23日 11:42
ご自愛くださいませ。
先生がお倒れになったら、沖縄県は困ります。
お大事になされてくださいませ。
Posted by ikekazu at 2011年02月25日 05:23
[公開]
[非公開]
※管理人のみ管理画面から確認することができます。
[公開]
[公開]
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。