てぃーだブログ › シュリーマンの 「まちづくり・ひとづくり・ものづくり」ブログ・・・ › 沖縄よもやま話 › 二千円札の未来は?

二千円札の未来は?

2010年07月20日

今年、2010年は
兵庫県神戸市生まれ神戸市育ち(途中、山口県下関市育ち)であり、
沖縄県那覇市に在住し仕事をしている私・白井にとって節目の年ともいえます。

1995年の阪神大震災から15年。
2000年の沖縄サミットから10年。

築き上げてきたものが一瞬で崩壊してから15年。
輝かしい未来へ向かっての扉を開けてから10年。が経とうとしています。

明日21日は沖縄サミットが開幕してからちょうど10年。
そんな記念すべき日に、新しいプロジェクトに参加するため、
阪神大震災から15年の神戸に出張するというのも不思議なものです。

今から1泊2日で神戸に出張するにあたり、
ATMで両替をして、多くの二千円札を持参しようと思っています。


二千円札の未来は?


2000年の沖縄サミットにあわせてつくられた二千円札ですが、
2010年現在の流通量は紙幣全体のわずか0.9%に留まっており、
2003年度以降からは製造すらされておらず、大量に日銀の金庫に保管されています。

ここ沖縄にいると、
銀行のATMやモノレールの券売機がニ千円対応をしていますし、
「ひとり二千円札を3枚もちましょう!」の1・2・3運動もあるおかげで、
二千円札に触れたり、使ったりの頻度は5千円札と同程度と感じるのですが、
全国的に見れば、その流通量が指し示す通り、低いと言わざるをえません。

なぜ?流通量が低いのか?

様々な分析データがあると思いますが、銀行のATM、電車の券売機、飲料水の自動販売機などのニ千円札対応のインフラ整備が遅れたせいで、「使い勝手が悪い」というイメージが、紙幣の普及スピードよりも速く浸透してしまった感があります。

何事も「事前準備が大切」という教訓のようなお話です。

もうひとつは、発行する側(プロダクト側)の思いは強かったが、受けて側(マーケット側)の思いは弱かった。あるいはその思いが微妙にズレていた。といった感もあります。

まさしくプロダクトアウト思考で、
マーケットイン思考ではなかったということではないでしょうか?

この二千円札の問題については、沖縄にはあまり責任はないと思いますが、
そこには、沖縄の未来を切り拓くヒントが、多く隠されているような気がしてなりません。

様々な人の思いと多くのヒントが詰まった
二千円札を持って、今から神戸に行ってきます。



<関連ブログ>

・阪神・淡路大震災から15年(2010年01月16日)

・なぜ?なに?坊や(2010年01月21日)

・3種のじんざい/作って・売って・勘定して(2010年01月25日)

・シューカツ(就活)について考える<その11>(2010年03月09日)









同じカテゴリー(沖縄よもやま話)の記事
ヤギのメェちゃん
ヤギのメェちゃん(2010-09-13 21:55)

Posted by 白井 旬 at 2010年07月20日 09:45Comments(2)沖縄よもやま話
この記事へのコメント
はじめまして。
当方も2000円札普及に努力している者です。

「ひとり二千円札を3枚もちましょう!」の1・2・3運動

素晴らしいと思います。
マスターもこれから2000円札を人に薦めるときには
是非利用させていただきます。
よろしくお願いします。
Posted by 2000円マスター at 2010年07月25日 09:42
>2000円マスターさま

はじめまして!
ぜひぜひ「ひとり二千円札を3枚もちましょう!」の1・2・3運動を広めていってください。
Posted by 白井 旬白井 旬 at 2010年07月29日 20:12
[公開]
[非公開]
※管理人のみ管理画面から確認することができます。
[公開]
[公開]
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。